Gartic Phoneで赤いものを茶色く塗るYouTuberを笑わないでほしいという話

Gartic Phoneで赤いものを茶色く塗るYouTuberを笑わないでほしいという話

マイクラやGartic Phone(ガーティックフォン)で赤いものを茶色く塗る人がいる

結論からいうと、「マイクラやGartic Phoneで赤いものを茶色く塗る人」は、おそらく色弱者です。(1行で記事が終わりました)

もちろん、絶対にそうだというわけではありませんが、赤と茶色の区別がつかないのは、色弱者によくあらわれる特徴です。
もっとも多いタイプの色弱については、よく、「赤と緑の区別がつかない」と一言でまとめられます。
しかし色のしくみというのはとても複雑で、単純に赤と緑だけが区別がつかないわけではありません。
日常生活では、赤と茶色の区別がつかなくて困る場面も多いのです。

焼肉のときに肉が焼けているかどうかわからない。
生肉の赤と、よく焼けた肉の茶色の区別がつかない。
というのが、鉄板あるあるとなっています。(焼肉だけに)(ごめんなさい)
これは場合によっては命の危険があるハンディキャップなので、ほんとうに笑えません。
焼肉だけにとか言ってる場合ではありません(誠に申し訳ありませんでした)。

色弱については、以前このような記事を書きました。

これはAmongUsについての記事だったのですが、公開から半年以上経過して、いまではAmongUsよりも中村悠一さんのお名前で検索してアクセスしてくる方が圧倒的に多いです(複雑なきもち)。
しかしそれで良いと思います。興味を持って、知ってもらえる、そこから理解してくれている人の数が増えるので。

カラーユニバーサルデザインについてのセミナーなどを受ける人、書籍を読む人、というのは、すでに「ユニバーサルデザイン」という言葉を知っていたり、これから勉強しようと考えていたり、なんらかの目的を持って能動的に情報にアクセスしていることが多いです。
現役デザイナーも、駆け出しデザイナーも、デザイナー職とはまったく異なる仕事をしていて必要があり調べている人もいるかと思います。

しかし、ほんとうに情報を届けて浸透させていかなければいけないのは、ふつうに暮らしているだけではそういう情報にアクセスする機会のない大勢の人たちです。

そういった人たちに色覚についての話が届くルートは、デザインのセミナーや書籍よりも、好きな有名人の発信する言葉や、日常生活での体験をきっかけにして浮き上がってくる、「デザイン」という言葉の含まれない別のキーワードだったりするのではないでしょうか。

という仮説にもとづいて、以前の記事に加えてこの記事を書こうと思いました。

他人が見ている世界の「赤」を知らない人たち

いまはなんでも検索できる時代ですし、前述の中村さんやその他の声優さん、タレントさんなど著名人が色弱であることを明かすことによって、そういう人がいるんだなって知ることができた人もたくさんいると思います。

しかしこの特徴のことを知らない人、色弱そのものの存在を知らない人は、そういう人のちょっと変わった行動をバカにしてしまいがちです。

マイクラでクリスマスのオブジェを作ろうとして、サンタクロースの服を茶色いブロックにしてしまう人。
Gartic Phoneでお題の絵を描くときに、てんとう虫やスイカを茶色く塗ってしまう人。

現実の絵の具のように色を混ぜ合わせたりすることのない、単純なパレットしかない環境で、はっきりとした赤があっても茶色を選んでしまう人がいると、よってたかってその人のセンスをバカにするのがよく見られる光景です。
(実際に複数のチャンネルのゲーム実況を観ていて上記のようなことがありました。名前は出しませんがいずれも子供に人気の方々です)

それを見るたびに「ああ、たぶんその人、色弱なだけだと思うよ…」と、ちょっと胸が痛くなります。

配信者だとそういうのをいじられてもネタとして昇華していけるかもしれませんが、子供の頃からずっと、周囲からそうやってバカにされたり責められたりしてきたんだろうなって考えるとどうしても笑えないのです。
そしてその配信を見た子供達がまた自分のクラスにいる色弱の子を、同じように笑うのかと思うと、もうなんとも…

ひと昔前でいうと、初音ミクの髪の毛を真っ青に塗ってしまっている人がときどきいました。
それも色弱である可能性が高いです。
あのきれいな中間色が、色弱者にとっては、みんなが「青」と呼んでいる色に見えてしまうのです。
ほかにも、茶色と緑の区別がつきにくいためキャラクターの髪の毛の色を塗り間違えてしまっているイラストはよく見かけました。
(絵が上手いと、あえてそういう色使い、表現なのかなって場合もあるので、他人から見て誤りと認識されず顕在化しない人もいます)

その当時は、現在のSNSのようなプラットフォームもなく、個人のホームページや掲示板などに掲載されている出来上がっている絵を見て「不思議なセンスだな」と思うだけで素通りする人が多かったのではないかと思うのです。いやその当時からわざわざバカにしにいく人もいただろうと思います。が、見えていませんでした。

今は色を塗った瞬間に他人がバカにする様子を、その音声情報つきで、映像で見ることができてしまうので、ちょっとしんどいときもあります。

もちろん、斬新な配色を見せつけられると私も面白い!となってしまいますし、それを面白い!と感じる多数派(?)の人たちの感性も決して否定できません。なによりエンタメ系YouTubeでみんなで盛り上がっているのだからわざわざ冷めた目で見る必要もありません。

タブー視することではない、しかし過剰にいじる必要もない

という感じで、去年はそんな動画をいくつか目にしてしまい、いろいろ意識して過ごしていたわけです。
そして先日わしゃがなTVでGartic Phoneをやっていて、楽しく視聴しました。

中村さんがパレットを見て「これ赤?こっち?これが赤で合ってる?」と言っている場面で、コメント欄では「あってますよ〜」とみんな当たり前のことのようにふつうの会話として返事をしていて、「タブー視しないで触れる、しかし過剰にいじらない」という自然な状態で、とっても平和だな〜とほっこりしました。

関係ないけどGartic Phoneのパレットの配置自体がけっこう鬼畜ですよね…3色覚者が見てもいまいちどういう並べ方?とピンとこない配置なような…

そんな平和な中で、一部のちょっとゲームの流れについていけていないかんじの人に対して「荒らし」呼ばわりしたり、「やる気出せよ」「迷惑」と言い放ったりするコメントがあって、別のポイントで治安悪いなあと気になってしまいました。

ゲームの性質上、時間制限内で普段やり慣れていないこと、たとえば「マウスで絵を描く」、「回答をタイピングする」、「情報が不足した絵から相手が何を描こうとしたかを推し量る」、ということを「時間内に」急いでしなければならないので、すんなりできない人もいるでしょう。

バカにしている人たちはそのどれもが得意で完璧で、推しの生配信で入室できたとしても、焦ることも緊張することもなくうまくこなせるのかもしれません。
途中で機器トラブルがあったり何か操作ミスをしたりすることもなく、万が一そういうことがあっても絶対にリカバリーできる技能があるのかもしれません。
人生でなにひとつ失敗したこともなく、想定外のできごとが起きたこともなく、常に準備万端で、誰からも迷惑がられたことがなく、こんなふうに人から責められた経験など皆無で、自分は絶対にそんな状況に陥らないという自信があるのかもしれません。

でも、そうでない人もいます。

タイピングを間違えたり変換を間違えて、お題の絵にまったく関連性のない文字を入力してしまうこともあるかもしれないし、うまくできると思っていたのに実際にやってみたらできなくてパニックになっているかもしれません。

それに、参加するには絵が上手である必要もありません。
参加資格を提示していないのだから絵が下手な人が参加しても問題ありません。
外野が「下手は空気を読んで遠慮しろ」、という圧力をかけることのほうが配信者にとって迷惑かも…と空気を読んで遠慮しておいたほうがいいのではないでしょうか?
少なくとも一視聴者として、配信者が生配信で場を楽しんでいる(またはそのように振る舞っている)中、コメントで視聴者同士が「迷惑だ」「参加するな」と空気を悪くする方が荒らし行為になるんじゃないかな?と感じました。

個人的には、なんの問題もなくただ当たり前のように上手でわかりやすい絵と正解が続くだけの動画の方が面白くなくなってしまうような気がします。
そういうものを求めている人にとっては「迷惑」なのかもしれませんが、その自分の都合を他人に押し付け罵倒することが良いことだとは思えませんでした。
求めるのであればコメント欄ではなく、他の人に見えないように裏側で番組対してプロだけ集めてやってほしいと要望を出したほうがほかの視聴者が不快にならないし、視聴者がいなければそういう企画はやらなくなりますから、番組の用意したルールで不快になってしまったならば今後は見ないという選択もあります。

そもそも「絵が上手い」のラインを引くのって、とっても難しくないですか?
参加したいのに、あなたのレベルだとダメね、って弾かれる側になる可能性とかも考えたら、私ならそんな主張できないなって思います。
自分の実力が見えていなくて褒められるに決まっていると思って慢心していたら下手側だった…と気づかされた時の絶望感、絵が上手い人だけでなく何かしらの技術を一所懸命習得している人なら、知っているはずなので…
なんとなく、叩いてる人はそこまで到達していない、あるいは絵なんて普段描かない側の人たちなのかなとも思いました。

自分に理解できない行動をとる人をなんでもかんでも「荒らし」と呼ぶ人もいますが、ただ自分にとって面白くない状況だから(自分の居場所を)荒らされたと感じているだけというケースもままあります。
その人は絶対に荒らしではないというわけではなく、真偽不明な状態です。
その人がしていることが荒らし行為なのかどうかはホストが判断することであり、容認されているのであれば視聴者が言うことではないでしょう。
また、その人自身が荒らしをしているつもりなのかどうか、それを楽しんでいるのかどうかは、本人にしか知り得ないことです。

声優さんのチャンネルという場所柄、イラストを描くのが好きなおおきいおともだちが多いんじゃないかな〜と想像しているのですが、だとすれば(今はまだ)絵が下手な人に対して「やる気出せ」という言葉が残酷だということはわかりそうなんだけどな…と思いました。
本人が内心どんなに必死で、一所懸命にやっているつもりでも結果がダメなら「やる気がない」と判断されてしまうんですよね。優秀な方からすると。

というか、絵に限らず、日ごろブラックな環境でそういうこと言ってくるような同僚や上司の愚痴を言ってる人、多いと思うんだけどなー
「頑張ってるのにボーナスが少ない」とか文句言ってる人もいますし。
それは上司や同僚から見ると「結果が出ていなくて」「やる気がなく」「迷惑」だっただけなわけだけど、その評価を素直に受け止められない人がたくさんいると思います。しかし、そういう人も赤の他人にはそういう見かたを平気でしてしまえるものなのかも。
ダニングクルーガー効果というやつですね。

しかしそれも多様性のひとつなので、そういう人がいること自体なんらおかしくないし、べつにそういう考え方をやめる必要はありません。
ただ、他人のおかれている状況やその背景にすこし想像を巡らせてみてほしいなと思います。

色の見え方には個人差があるということが、そして、他のさまざまな「できること」にも個人差があるということが、「みんなが当たり前に知っていること」になるといいですね。

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