スパゲッティを茹でているときに思いついた軽い話なのでサラッと受け流してください。
あ、ちなみに私自身はデザイナーですが、エンジニアさんに対する敬意の意味でエンジニア=パスタを主軸にお話しします。
エンジニアVSデザイナー
エンジニアVSデザイナーの抗争って、あちこちで勃発しますよね。
たとえばなんですがこういった記事。
- どうやって埋める? デザイナーとエンジニアの大きなギャップ
- あなたと働くエンジニアの人生を最悪なものにしないために – デザイナーのための3つの提言
- 【これからのスキル】デザイナーとエンジニアの境界線がどんどん無くなる
- エンジニアと仕事するときにデザイナーができること
誤解のないように言っておくとこれらの記事の著者さんたちがデザイナーまたはエンジニアで相互に敵意を持っているということではありません。
類似の記事はたくさん見つかると思うのですが、問題なのは記事の主旨だけではなく、こういった記事を読んだ読者のデザイナーまたはエンジニアの反応や、個々人の感覚・持論などに、対立の構図が見え隠れすることです。
たとえば私が個人的に感じる、ブログ記事や掲示板でよくアウトプットされていると思う意見はこんな感じに分類されます。
- デザインしかできないデザイナーはWebデザイナーではない
- フレームワークや人工知能によって、デザイナーは不要になる
- デザイナーはエンジニアの仕事をもっと理解するべきだ
- デザイナーはエンジニアの性質をもっと理解して差し上げるべきだ
- プログラムを書くだけのエンジニアはエンジニアではない
- フレームワークや人工知能によって、プログラマは不要になる
- エンジニアはデザイナーの仕事ももっと理解するべきだ
- エンジニアはデザイナーの性質をもっと理解して差し上げるべきだ
これだけ見るとちょっと、結局のところお互い「俺らのことを理解して歩み寄ってできればこっちが努力しなくてもこっちに都合良くコミュニケーションとってくれよ?」と言ってるだけに聞こえます。
ですが、それは受け取る人がそう受け取っているだけの場合もあります。
著者にそのつもりはないかもしれません。
たとえばこういった真意があるかもしれません。
デザインしかできないデザイナーはWebデザイナーではない
デザイン=ビジュアルデザインのことを指していて、画面つまり見た目のことをデザインだと思っている。
そして、当人は「ビジュアルデザインしかできない、かっこいい見た目を作ることしか考えられないようなアーティスト気取りのデザイナーはWebサイトを設計するようなWebデザイナーではない」と言っているつもりだが言葉足らずで読者に伝わっていない。
フレームワークや人工知能によって、デザイナーは不要になる
デザイナーがいなくても画面が作れる時代が来たら、デザイナーなんか役に立たなくなるぜ!という意味に受け取られてしまい炎上したりするが、本当に訴えたいことは「HTMLとCSSが書けて画面が作れるだけじゃただのコーダーでしかないから、デザイナーでなければできない業を身に着け披露すべし」ということ。
PhotoshopだのIllustratorだのが使えるだけで胡坐をかいてはいけないよ、という意味。
デザイナーはエンジニアの仕事をもっと理解するべきだ
デザイナーだからって見た目だけ作ってほかの仕事をまったく受け付けないというのではなく、エンジニアがどんな仕事をしているか、画面ではわからないところでどれだけのことをしているのかを理解してほしいという意味。
でもこれを主張してるエンジニア自身がデザイナーの仕事を理解しているか?ということは文章を読んだだけの読者にはエスパーできない。
デザイナーはエンジニアの性質をもっと理解して差し上げるべきだ
エンジニアはこういうことを考えていて、こういう理由でこうしたがったり、こういう理由で不機嫌になったり、こういう態度をとったりしますが、そういうこともすべてわかってあげてね。という話。
エンジニア目線の記事だからそれで完結してもいいはず。
でもこれを主張してるエンジニア自身がデザイナーの性質を理解して差し上げているか?ということは文章を読んだだけの読者にはエスパーできないためブーメランみたいに見える。
プログラムを書くだけのエンジニアはエンジニアではない
機能要件を満たしているだけのソフトウェアでは、ユーザーが使いたがらないし売上も立たない。
闇雲に実装するだけでなく、顧客が本当に必要だったものは何か?というところまで考えたり、それを実現するために機能や仕様を提案することもエンジニアの責任ではないか?という意味なのだが、「プログラムを書けもしないやつが吠えてる」みたいに受け取る層がいて炎上することがある。
フレームワークや人工知能によって、プログラマは不要になる
機能要件を満たしているだけのソフトウェアならば、近い将来プログラマがコードを書かなくても実現できるようになる日が来るかもしれない。「顧客が本当に必要だったもの」の解を導き出したり、人間の感覚で満足できるものを作れるようにならないと、人間が必要なくなる。
プログラミングができることに胡坐をかいていてはいけないよ、という意味。
エンジニアはデザイナーの仕事ももっと理解するべきだ
エンジニアだからってプログラムだけ作ってほかの仕事をまったく受け付けないというのではなく、デザイナーがどんな仕事をしているか、見た目だけではわからないところでどれだけのことをしているのかを理解してほしいという意味。
でもこれを主張してるデザイナー自身がエンジニアの仕事を理解しているか?ということは文章を読んだだけの読者にはエスパーできない。
エンジニアはデザイナーの性質をもっと理解して差し上げるべきだ
デザイナーはこういうことを考えていて、こういう理由でこうしたがったり、こういう理由で不機嫌になったり、こういう態度をとったりしますが、そういうこともすべてわかってあげてね。という話。
デザイナー目線の記事だからそれで完結してもいいはず。
でもこれを主張してるデザイナー自身がエンジニアの性質を理解して差し上げているか?ということは文章を読んだだけの読者にはエスパーできないためブーメランみたいに見える。
自分の仕事に誇りを持つことと自惚れとは紙一重
心のどこかで少しでも「お前らは俺らのやってるこの作業ができないくせに」みたいな気持ちがあると、上記のような文章、人の意見に噛みつきたくなるものです。
もうログが見つからないくらい前の話ですが、こういった記事について、おそらくデザイナーさんだと思いますが批判的なツイートをしていた方がいました。
Twitterの少ない文字数ではその人が何をどこまで考えているかなんてわかりませんが、よくある「デザイナー不要論」がお気に召さないようでした。
私からしてみるとそういう記事の言いたいことは「ビジュアルデザインだけやってて胡坐かいてたら仕事はなくなるから、ビジュアル以外のデザイン(設計)や、コーディングも満足にできるようになったほうがいい、とにかくデザインツールを使うこと以外も出来るに越したことはない」みたいなことだと思ってるのですが、その方がいったいどの記事を読んだのか特定できませんし、さらにそれをどのように解釈して、どのような思考を巡らせた結果そこまで敵意を持ったのかまでは、理解できませんでした。
そこで、引用リツイートで「私はビジュアルデザインしかできないデザイナーはWebデザイナーではないと思う」という意味のつぶやきをしたら、当人からだいたい下記のような内容のリプライがきました。
「エンジニアには凝ったデザインはできないので最後にはデザイナーに依頼することになります。それなのにほかの職種を馬鹿にするのが許せないだけです。悪いですけど。」
(ログがないので一言一句同じではありませんが強烈な印象が残っているのでほぼこれで合ってたと思います)
個人的な感想としては、「すごいブーメランだ」という一言に尽きます。
エンジニアにはデザインはできない、となぜ言い切れるのでしょうか?
エンジニアは全員デザインができないのでしょうか?
エンジニアだからデザインができないのでしょうか?
エンジニアという職種であっても、本人の資質や努力次第で、デザイナーという職種に就いている人に並んだり追い越すことは可能では?
エンジニアにはデザインはできない、なんて、まさしく職種のみを基準にした評価ですし、これはただの侮辱でしかないと思います。
最後の「悪いですけど。」という吐き捨ても気になります。
誰に悪いのでしょうか。やはり「エンジニア職」を侮辱しているから悪いと思っているのでしょうか。
非常に挑発的だと思えます。
しかも私自身はデザイナーなのになぜデザイナーに噛みついてきたのかわかりません。
「最後にはデザイナーに依頼することになります」という言葉にもよく表れているように、つまりこの方は「デザインという素晴らしい仕事はデザイナー(という職種の人)にしかできなくてそれ以外の職種のやつらはデザイナーに頼るしかないこともわからずにデザイナーがいらないとか言って馬鹿にしやがってお前らの方こそ馬鹿じゃねーの」と言いたいわけです(あくまでも私の想像です)。
ほかの職種を馬鹿にしたとびきりのブーメランですね。
きっとこの方は、自分が「デザイナー」であるのに、「不要」と言われた、と感じ、そのキーワードだけで頭に血が昇っちゃったんじゃないかと想像しています。
ちなみに前後のツイートを見るとWebデザインもDTPもイラストもやっていて私と似たような感じでいろいろな方向性で努力していそうな方なので、この一件さえなければ普通にフォローしていたかもしれないし仲良くなれていたかもしれないな、と思いました。
関わるの怖いのでブーメランに無難にリプしたあとすぐブロックしましたが。
エンジニアがパスタなら、デザイナーはパスタソース
自分の仕事に誇りを持つのは良いことです。
けれども、それが過ぎるあまり自分の仕事だけを崇拝したり、まして他人の仕事を侮辱するようではいけないと思います。
やっと本題ですが、エンジニアはパスタのような存在であり、対してデザイナーはパスタソースのような存在である、というのが最近の私の意識です。
パスタ、というとスパゲッティのようなパスタもあれば、ペンネのようなショートパスタもあります。ラザニアとかもね。
そしてパスタソースには、様々な味があります。
私はたらこ・明太子系が好きですが、アラビアータもあればカルボナーラもありますよね。
考えてみてください。
あなたの食事は、そのどちらかだけで満足でしょうか?
デザイナーからしてみれば、パスタソースこそが主役の味です。
様々な味を表現して楽しませ、パスタをおいしく食べさせることができるのはパスタソースです。
形が違い、食感が違っても、毎食すべて小麦のパスタだけでは、お腹はいっぱいになってもおいしくありません。
ただ動くだけのシステム。
見づらい、使いづらい、操作しにくいユーザーインターフェース。
顧客が本当に必要だったものはそんなものでしょうか?
エンジニアからしてみれば、パスタこそが主役です。
なんせ主食です。
パスタソースだけ食べてもお腹はいっぱいにならないし、食事という機能要件を満たしていません。
見た目だけ派手で、かっこよくて、ビュンビュン絵が変わって楽しくても、それはただの画面です。
動かないシステム。
計算できない、データの登録もできない、新しい情報が表示されない。
顧客が本当に必要だったものはそんなものでしょうか?
我々が作りたいものはそんなものではないはずです。
デザイナーがいないとユーザーにウケない画面しか作れないくせに。
エンジニアがいないとユーザーが使えるシステムが作れないくせに。
そうです。
お互い、自分一人ではすべてが最高なシステムなんて作れないんです。
だから職種が分かれていて協力しているんです。
というよりもっとポジティブな言い方をしましょう。
お互いが得意なことを受け持つことですべてが最高なシステムが作れるんです。
どちらかが欠けていては、どちらも揃っているシステムにかなうわけがありません。
デザイナーもエンジニアも、どちらも必要ですしどちらも偉いのです。
どちらかが格上なんてことはありません。
先に挙げたような記事やツイートなど、人の意見でそれがどちらかに寄るのはあたりまえです。
なぜならエンジニアのことはエンジニアがよく知っていて、デザイナーのことはデザイナーがよく知っているから、それぞれの立場から、それぞれの価値をアピールする内容をアウトプットしているだけです。
ですがそこに敵意や侮蔑を込める人がときどきいます。
そういうのはいけません。
あくまでも、逆側に寄っている人、逆側しか理解していない人を中立に引き戻すために、こちら側についての説明をするだけ。
そうしないと、憎しみが憎しみを生んで負の連鎖に陥るだけですからね。
私はパスタソース。
パスタを輝かせ、ユーザーの食欲を誘い、パスタに満足してもらうために存在します。
ユーザーが真に食べたい物は私ではなく、パスタだということを知っています。
パスタを尊重しています。
ですが、パスタにも知ってほしい。
ユーザーがパスタを求めるとき、ユーザーのイメージの中には必ず私が存在することを。